
割り込み処理と「感情」¶
If feelings are causes, of course their effects must be furtherances
and checkings of internal cerebral motions, of which in themselves
we are entirely without knowledge. It is probable that for years to
come we shall have to infer what happens in the brain either from
our feelings or from motor effects which we observe. The organ will
be for us a sort of vat in which feelings and motions somehow go on
stewing together, and in which innumerable things happen of which
we catch but the statistical result.
感情(feelings)が原因であるとすると、その影響は当然、大脳内部の運動を促進したり
抑制したりするものでなければならないが、それらの大脳内過程については我々は全く
知らない。今後何年にもわたって、私たちは脳内で何が起こっているのかを、感情から、
あるいは観察できる運動効果から推測しなければならないであろう。私たちにとって、
生体は感情と運動が何らかの形で一緒に煮込まれている一種の樽のようなものであり、
その中で起こる無数の出来事について、私たちはその統計的な結果しか捉えることが
できない。
(William James, "The Principles of Psychology", 1918, New York)
人間であれ、もっと単純な生物であれ、限られた時間と資源的割り当てのなかで、その都度の目標を達成しなければならない。さまざまな制約のもとで完璧は望むことができない。あらゆる活動は、せいぜいうまく行ったとしても、ほどほどの水準が満たされたところ(Satisficing = Satisfying + Suffice)で打ち切られる必要がある。
しかも、その過程において、不可避の状況変化に対応できなければならない。変化に対応するための処理を、当初の目標を達成するための処理より後に入れたのでは、そもそもの当初の目標を達成することができなくなってしまう。
そのため、自らの活動を制御するプロセスに、何らかの割り込み処理(interrupt)が組み込まれている必要がある [Simon67] 。
この割り込み処理システムは次の二つの条件をみたさなければならない。
割り込み処理システム(interrupt system)の2条件
1. 通知プログラム(Noticing program): 目標達成のためのプログラムと並行
して、対応すべき状況変化を通知するプログラムを走らせていなければならない。
この通知プログラムは連続的に動いている必要はないが、高い頻度で活動させる
必要がある。
2. 通知プログラムは現在動いている処理を一時的に中断するか、終了させる
権限を持っていなければならない。
単純化すると、当面の目標を達成することの切迫度(例えば、食餌活動の時間制限)と、状況変化に対応するための緊急性(例えば、危険の回避)との優先順位づけは、それぞれ、通知プログラムが参照する「しきい値」に応じて判断される。
例えば、許容できる空腹時間は、エネルギー貯蔵容量に応じて決められる。貯蔵容量が小さければ、切迫度の時間勾配はそれだけ急になる。回避すべき危険の緊急性についても、同様に時間勾配を想定することができる。それぞれの時間勾配に応じて、割り込み処理を行う機能を、Simonらは「感情」(emotion)の基礎とするのである。
言葉というのは厄介なもので、人が違えば言葉の意味するところも正確に同じにはならない。また、同じような対象を別の言葉で捉えたりもする。ジェームズは「心理学原理」のなかで、" consciousness "( 意識 )とは第一義的には" a selecting agency "( 選択を行うもの )であるとした。このような選択する能力を持つということが、その主体をつねに「 不安定な平衡状態 」に置くことになる。そして、" feeling "は、この「 不安定状態 」のなかでの一連の神経放電の時間断面("a cross section of the chain of nervous discharge")のようなものだとも言っている。このような意味で、「 意識の連続性 」は「 割り込み処理機能の常駐性 」を基礎としているともいえる。
割り込み処理を必要とする事態が立て続けに起きた場合、システムはもはや対応できずに、disrupt(破壊的混乱状態)にいたる。しかし、システムは繰り返される特定のタイプの刺激に対する反応を、「しきい値」をずらすなどして、選択的に抑制することを学ぶこともできる。他方、この抑制戦略が、当初の目標達成を妨げてしまうということもあり得る。
また、切迫度が高いにもかかわらず、優先順位が上がらずに、要求を出し続けるサブ・プロセスも発生する。

人間以外の存在について、何をもって「思考」、「知性」、「感情」とするのかの議論 [1] は避けておきたい。が、Simonらの議論は、身体をもったAIがやがて「心」を持つ過程を考えるうえで興味深い。
例えば、 おもちゃの自立型ロボット において、制御系が個々の脚の乗っている表面の摩擦係数変化をモーター電流から把握して、脚ごとの摩擦係数のばらつきを一種のフラストレーションとして表現させるといった類のことは、容易に実現できる。また、これらの経験を積み重ねて、予測困難な変化に対する調整能力を向上させていくことも、所与のハードウェアの限界はあるが、ある程度まで可能である。
生き物は、原生的疎外のなかで、自らが生を享けて在ることを知る。
The crushed worm writhing in pain undoubtedly distinguishes its
own suffering from the rest of the world, though it can understand
neither its own Ego nor the nature of the external world. But the
consummate intelligence of an angel, did it lack that feeling,
would indeed be capable of keen insight into the hidden essence of
the soul and of things, and in full light would observe the phenomena
of its own self-reflection, but it would never learn why it should
attach any greater value to the distinction between itself and the
rest of the world than to the numerous differences between things in
general that presented themselves to its notice.
踏みつぶされ、痛みに身悶えする虫は、自我も外界の性質も理解できないにもかかわらず、
自分の苦しみを世界の他のすべてとはっきり区別している。しかし、天使の完璧な知性は、
感覚というものを欠いており、魂や物事の本質をくまなく鋭く洞察することができ、
完全な光の中で自らの内省を観察することができるとしても、自分の目の前に現れる
さまざまな物事のあいだにある無数の違いに対するよりも、自分と世界の他の部分
とを区別することの方を重視しなければならない理由については、決して知ることがない。
(Hermann Lotze, "Microcosmus: an essay concerning man and his relation
to the world", Translates trom the German BY ELIZABETH HAMILTON AND
E. E. CONSTANCE JONE,Edinburgh : T. & T. Clark, 1885.)
哲学者のNagelは"What is it like to be a bat?"という設問を投げた [Nagel74] 。
A twitch, a twitter, an elastic shudder in flight
And serrated wings against the sky,
Like a glove, a black glove thrown up at the light,
And falling back.
飛びながら、ピクピク、きりきり、ゴムのように震える
そして、空を背にハサミを入れた翼、
まるで手袋、光に向けて投げた黒い手袋、
それが、また、落ちてくる。
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Hanging upside down like rows of disgusting old rags
And grinning in their sleep.
Bats!
胸糞悪いぼろきれのように並んで逆さに吊り下がり
眠りのなかで歯を光らせて笑う。
こうもり!
("Bat" by D. H. Lawrence より)
同様に、こう言ってはどうか。
What is it like to be a machine ?"
機械であるとはどういうことか
2021年8月31日
[1] | 当然ながら、ここで述べるようなAI技術の側からの"emotion"の把握の仕方は、心理学の側からはほとんど承認されていない。そこで、Beaudoinは"emotion"に替えて、"perturbation"という語を用いている [Beaudoin17] 。"perturbation"は、"emotion"の一形態と見なすこともできる。 |
[Simon67] | Herbert A. Simon, "Motivation and emotional controls of cognition", Psychological Review, 74(1967)29-39. |
[Nagel74] | Thomas Nagel, "What Is It Like to Be a Bat?", The Philosophical Review, Vol. 83, No. 4 (Oct., 1974), pp. 435-450. |