赤子の用例

帝国憲法の解説の類に「赤子」の語が出る場合は、枕として「億兆安撫国威宣揚の 宸翰(しんかん) 」を引用するのが通例なので、表には入れていない。また、文部省「國體の本義」の流れにある、公的な文章も採録していない。

著者

タイトル

出版社

文例

1911

徳富蘆花

謀反論(草稿)

陛下の赤子に差異はない、なにとぞ二十四名の者ども、罪の浅きも深きも一同に御宥し下されて

1919

幣原坦

朝鮮教育論

六盟館

随分諸方に,小学校に赴かずして遊んでいる児童がある。等しく是れ陛下の赤子にして,教育を受けない者が朝鮮に残っているとする ならば,頗る遺憾なことである。(* 在朝鮮日本人児童の就学について)

1920

足利盲人革新団

(ビラ)

盲人にも義務教育を授けよ,吾等も亦忠良なる 陛下の赤子である [hirataK]

1921

巌村浩太郎

光は闇より

聚英閣

其方は一端の過ちから罪を犯したとは言へ、吾々と同じく、陛下の赤子である。

1925

大日本敬老会

高齢者写真名鑑

大日本敬老会

両陛下には、此大典に際し七千萬の赤子と御喜びを分たせ給ふ

1927

岩崎ナヲ

昭和の第一新春を迎へ奉りて

東京府産婆會「助産の友」

私共は、新帝陛下の赤子として、新しき御世代の臣民として、各自銘々がその職務とする道に 励み、陛下の善良なる臣子として一層御国のため励まねばならぬ [kimuraN]

1927

桝本卯平

産業立国主義と現代社会

大阪屋号書店

国家が社会の人民を目して、赤子の名を用ひるのは、蓋し偶然ではないのである。(中略)国家は社会の人民を赤子 と見做す。従来その人民は悪であった。国家の理想は、赤子を悪から善へと純化せうとい ふにある。

1927

大正天皇御物語

水谷次郎

日本書院出版部

大正天皇 御聖德をしたふ赤子 の眞心

1930

小学教員減俸の大矛盾

教育時報社

赤子の手をネジる前に健全なる國富手段を講ぜよ

1930

融和事業研究 第九集

中央融和事業協会

国民斉シク陛下ノ赤子ナルヲ 以テ互二敬愛スヘキコトヲ教フルコト

1932

徳富蘇峰、大谷光瑞

全国民に訴ふ

近代社

外国に対して軟弱な政策は陛下の赤子を多数OOした。支那人が殺害したのではない。若槻内閣がOしたのである。(O: 伏字)

1933

遠藤友四郎

国体原理天皇親政篇

錦旗会本部

陛下の赤子を何者か(資本)の奴隷にして置くと云ふが如きことの断じて許さるべからざる筈の我が神州日本

1934

野畑一男

国民の沈黙は破れたり

力行会

赤子の斷罪に軍民の別ありや

1934

福井県

陸軍特別大演習記念写真帖

福井県

行在所跡拜觀ノ爲メ蝟集セル赤子

1935

上杉慎吉

帝国憲法逐条講義

日本評論社

天皇の 赤子として、天皇を崇敬 する

1935

児玉四郎

明治天皇御降誕と大阪

大慶社

天皇の赤子が寄り集つて、かかる尊き御事をお話し、

1936

高橋是清

処世一家言 : 半生の体験

今日の問題社

天子樣の赤子としての 修養

1937

銃後の赤誠(在住朝鮮人の美談集)

京都府協和会

私共半島人も等しく 天皇陛下の赤子であり、又日本国民であります。

1937

野上伝蔵

警察訓話

新光閣

第二章 官吏の本質を知れ、一 一般官吏の本質 官吏は天皇陛下の股肱である。(中略)第十二章 丁寧懇切なれ、 一 一般民衆は陛下の 赤子である

1938

国体ノ本義ニ基ク教育

神奈川県愛甲郡厚木尋常高等小学校

日本国民は 出生と同時に 天皇の赤子であり、また生涯を通じて日本国家の生活の中に置かれ

1938

(一転向者)

司法保護叢書. 第2輯

全日本司法保護事業聯盟

過れる思想を精算したる今日、陛下の赤子の一人と自ら信ずるものに御座候

1939

小川未明

日本的童話の提唱

報知新聞

職能の別はあつても、共に同じ陛下の赤子で、兄弟である。始めから、貴賎の別も、階級の別ちのあらう筈がない。 [masuiM]

1940

関口泰

現代の政治

選挙粛正中央聯盟

陛下の赤子に信賴せよ

1941

犬丸巌

新体制下の憲法解説

法文社

陛下の赤子を唯の一人でも無辜の冤罪のために処罰するやうなことがあつては申訳ない。

1942

後藤静香

心の糧となる話

教育資料

眼を転じて労務者の群を見る。(中略)「陛下の赤子を、このまゝにしてよいか」

1943

岸田国士

力としての文化 : 若き人々へ

河出書房

日本の「文化」は、今 日まで、いはゆる「大和民族」たるわれわれの祖先が、(中略)赤子たるの光栄と本分とを 忠誠の臣節に籠めて、ひたすら国運の発展と「美しき」国風の充実に尽して来た、その結 実なのであります。


2024年4月18日


hirataK

平田勝政, 大正デモクラシーと盲聾教育 ―「盲学校及聾唖学校令」の成立>過程の分析を通して―, http://hdl.handle.net/10069/30696

kimuraN

木村 尚子, ジェンダー史学 第8号(2012)pp.21-35

masuiM

増井真琴,小川未明(下)-階級闘争から八紘一宇へ, http://id.nii.ac.jp/1060/00009404/