373: '中有の旅の記憶'事件¶
依頼人¶
女性が十二歳になる娘を連れて来た。娘はあまり母親に似ていない。母親はシングルマザーで、塾の教師をしている。この女性からは、すでに一度、別の件で依頼を受けたことがある。筋肉質で背も高く、どちらかというと男性的な雰囲気の女性である。娘の方は目の大きく美しい女の子だが、からだのバランスから言うと、頭がやや大きすぎて、肩幅が狭く、手足も細い。依頼内容は女の子の夢に関するものである。以下の話は母親から聞いた。娘の方は始終黙ったままで、私が目を向けたときだけ、母親の話を肯定するようにうなずいて見せた。
閑談を終えると、母親は仕事があるからと出て行った。娘の方はキッチネットの本棚からとり出した少女漫画を読み終えてから帰った。少し後ろをついて、駅まで見送った。

Edited image from 'Nippon Atlas', Kyushu University Library Collections
依頼内容¶
少女が五歳のとき、もうすぐ妹が生まれると教えられた頃から、自分の「生まれる前」のことを夢に見るようになった。それが今も続いている。小さい頃はそれほど気にもならなかったので、誰にも言わなかった。そのうち、その夢は滅多に見なくなってきていたのだが、昨年末くらいから、また、しばしば同じ夢を見るようになって、不安になってきた。
「生まれる前」といっても「母親の胎内にいたとき」でも「前世」なのでもない。どこか良く分からない、明るくも暗くも広くも狭くもないところをふわふわと歩いているのである。しかし、心は奇妙に切迫している。怖いのでもなく、不安なのでもなく、ただ、なんだか急かされているような気がしてならないのである。
夢のなかでこの気分がつのってくると、目をさまそうとするのだができない。「歩いている」と思うのは、飛んでいるようにも泳いでいるようにも感じられないからそういうのである。しかし、足が地面をけっているという具体的な感覚があるわけでもない。だから、走ることもできない。そして、朝目覚めてみると、夢がどこで終わったのか分からない。
(この最後の気持ちの捉え方のところだけは、女の子に直接聞いて確かめたのだが、母親の話した以上に具体的にはならなかった。)
私、「それがどうして生まれる前のことだと思うの?」
母親、「私も同じことを聞いたんです。」
娘は初めてしっかりした口調で、「だって、そうなんだもの」と言った。
こんな話が他にもあるものか調べて欲しいというのである。
調査報告¶
(今昔物語集 巻31第28話 藤原惟規於越中国死語 第廿八 より)
父為善、惟規(のぶのり)下(くだる)と聞て、喜て待ち付たるに、此く限なる様なれば、
奇異(あさまし)く思て、歎き騒ぐ事限無し。
然て、万に繚(あつかひ)けれども、愈(いえ)ずして、無下(むげ)に限りに成にければ、
「今は此の世の事は益無かり。後の世の事を思へ」と云て、
智り有り止事(やんごと)無かりける僧を枕上に居へて、念仏など勧めさせむと為けるに、
僧、惟規が耳に宛て、教へける様、
「地獄の苦患はひたぶるに成ぬ。云ひ尽すべからず。
先づ、中有(ちゅうゆう)と云て、生未だ定らぬ程は、
遥なる広野に鳥獣などだに無きに、只独り有る心細さ、
此の世の恋さなどの堪難さ、押量らせ給へ」など云ければ、
惟規、此れを聞て、息の下に、
「其の中有の旅の空には、嵐に類(たぐ)ふ紅葉、風に随ふ尾花などの本に、
松虫などの音は聞えぬにや」と、
(ためらひ)つつ息の下に云ければ、僧、悪(にく)さの余りに糸荒らかに、
「何の料に其をば尋ね給ぞ」と問ければ、
惟規、「然らば、其等を見てこそは(なぐさま)め」と、打息みつつ云ければ、
僧、此の事を、「糸狂(いとくるお)し」と云て逃て去にけり。
お父さんの<ためよし>は、むすこの<のぶのり>が都からはるばる来てくれるというので、
喜んで待っていました。それなのに、<のぶのり>が重い病気になってしまって、
助かりそうにもないので、大変悲しみました。
いろいろ手をつくしましたが、病気は少しも良くなりません。
「もう無理に病気をなおそうとしてもしかたがない。
死んだあとのことを考えられるようにしてあげよう。」
そこで、お父さんはえらいお坊さんを呼んできて、
病人の枕元で念仏をとなえてもらおうと思いました。
ところが、お坊さんは<のぶのり>の耳に口を近づけて、こんなことを言いました。
「地獄の苦しみは逃げることはできないのだよ。
その苦しさといったら、どう説明したらいいかなあ。
まず、行く先の決まらないあいだは、中有(ちゅうゆう)といって、
だだっぴろい広い野原に鳥もけものもいないようなところに
一人きりでいるときのような心細さ、
生きていたときのことが恋しくてたまらないつらさ、
想像して見なさい。」などと言うのでした。
<のぶのり>はこれを聞いて、もうほとんど声も出ないのでしたが、
「その中有の旅の空には、嵐にもみじが吹かれていたり、
風にすすきがそよいでいるところに、松虫の鳴く声が聞こえたり
ということはないのでしょうか。」と、おそるおそるお坊さんにたずねました。
お坊さんは、怒って声を荒げて言いました。
「なんのためにそんなことを聞くのかな」
<のぶのり>は、息もたえだえに、
「もみじや、すすきや、虫の声があれば、気持ちが安らぐだろうと思うので」
と、言いました。
お坊さんはこれを聞いて、「なんて馬鹿なことを」と言って、逃げて行きました。
死の直後から生有(母胎などに入る瞬間)の直前までの中間にある五蘊(ごうん) [2] を中有と言う。しかし、中有なる状態が本当にあるのかどうかは、仏教の教派間で決着のつかない論争があるそうである。というのも、中有は、パーリ語の二つの日常的な語彙、"antara"(助動詞あるいは接頭語「あいだに」)と"bhava"(名詞「状態」「存在」)をつないだ造語であり、原始仏教以降の理論的構築の過程で持ち込まれた概念だからである [Ref1] 。「中有」あるいは「中陰」はその中国語訳である。
論理上、中有には時間の次元だけがあって、空間の次元がない。しかし、我が国では、「中有」の概念について混乱があり、説話などではときに空間的な性格を与えられた。
中世以降、「中有に迷う」「中有の旅」という表現がしばしば用いられるようになり、
虚空や空中の意味をかけて宙宇の表記も用いられた。
(小林真由美、「中有と冥界-『日本霊異記』の蘇生神話、
成城国文学論集 32, 33-52, 2009-03、 成城大学)
今昔物語の巻31第28話では、坊さんが中有をひとつの時空的実在のように説明してしまったので、若い惟規はせめてそこに「嵐に類ふ紅葉、風に随ふ尾花、松虫の音」があって欲しいと、ささやかな願いを口にしたのである。その願いを嘘でも肯定してもらえないまま、亡くなってしまったのは哀れである。
だが、それにしても、坊さんはなぜ怒って逃げていってしまったのだろうか。惟規に仏教を馬鹿にされたと感じたからという説も有る。それよりも、急に怖くなったからではないのか。時を越えて、忘れていた自身の「中有」に自分が見つめ返されたかのような。
「臨死体験」は多く語られている。最近は「臨生」という語もあるが、これは生まれる直前というよりも、死の側から自分の生を捉えることで、日々を新たに生きるといったような意味合いの新語であるらしい。
むしろ、依頼人の少女のような体験を理解するには、「幼児期健忘」の視点が必要かもしれない。つまり、似たような夢の経験を小さいときにしている人は多いのだが、幼児期健忘のために覚えていないだけだなのかもしれないのだ。
場所と出来事の記憶は海馬に記録される。
海馬の神経生成は大人になるまで続くことから、
この過程が海馬の記録機能に影響することが想定されてきた。
思い出すというのは、場所と事件の起きた時の神経活動のパターンを海馬から
取り出すということである。海馬神経新生は海馬の神経回路を組み直すことになる。
乳幼児期のようにこれが活発であると、
過去の神経活動のパターンを取り出すことが難しくなってくる。
反対に大人では、すでに海馬の神経新生活動のレベルが低下しているので、
場所と出来事の記憶が保てるのである。
Katherine G Akers et al.,
'Hippocampal Neurogenesis Regulates Forgetting During Adulthood and Infancy',
May 2014 Science 344(6184)598-602. の結論部分からの簡約。

ここで海馬がになう場所と出来事の記憶というのは、主にいわゆる「エピソード記憶」(episodic memory)であって、個体が経験したある特定の時間・空間・状況における出来事として記憶されるものを指す。
依頼人の場合は、妹が欲しいとずっと願っていたのがやっと叶うという子供にとって大きなエピソードがあの特別な夢と結びついたこと、そしてそれが幼児期健忘の境目あたりで起きたことで、本来は忘却されるべきあの夢が長く固定されたのかもしれない。
2021年8月30日
報告書欄外メモ¶
調査報告を母親は娘にどう説明しただろうか。その後、音沙汰がないので分からなかった。
この事件は四年ほど前のものである。昨日土曜日昼食後 [3] オフィスに戻ってみると、机のうえに自称秘書のメモが置いてあった。自称秘書は私のすべてのケース・ファイルに勝手に目を通しているので、この事件も覚えていたのである。
さっき、Mちゃんがふらっと事務所に来ました。
高校生になって背も伸び、美人さんになっていました。
用事は特にないのだが、ふと思い出して寄ったのだそうです。
「ここ二年ほどは例の夢を見なくなりました。
もう二度と見ることはない気がします。」とのことでした。
すぐ戻ってくるはずだから待っていたらと言ったのですが、
用事があるからと帰ってしまいました。
ここまでがワープロで、最後に鉛筆で「ヨカッタデスネ」と走り書きがされていた。
しかし、少女の人生がまた次の段階に入ったのは、なんだか寂しい気もするのである。ともあれ、あのとき母親と一緒にここに来なかったら、あんな夢を見ていたという記憶もいずれ消えてしまったのではないか。
[1] | やたナビTEXT , 芳賀矢一校訂『攷証今昔物語集』(冨山房・大正10年4月)を電子化したテキストから抜粋。 |
[2] | 五蘊とは、人(衆生)の身心をつくる五つの要素。「衆生は五蘊が仮和合して成立しているから、本体というものはなく、無我であるから五蘊皆空という。」 [Ref2] |
[3] | 実は散歩から戻ってきたら、階段をのぼる自称秘書の見慣れたスカートと靴が見えたので、そのまままた昼食に出たのだった。 |
[Ref1] | 高橋審也、「原始仏教における無我と私(一)」、印度学佛教学研究第38巻第二號 平成二年三月 ; Qian Lin, "The antarābhava dispute among Abhidharma traditions and the list of anāgāmins", J. Intern. Association of Buddhist Studies, vol. 34, 2011(2012), 149-186. |
[Ref2] | Web版浄土宗大辞典 |